シルバーウイークは石巻RUN [マラソン]
父と渓流釣りをするために石巻へ帰省しました。
釣りは1日だけで、
そのほかの日は故郷の町を走りました。
実家を起点にしたコースを紹介しましょう。
家は向陽町という、津波の被害の少なかった地区にあります。
出発して、数百㍍で旧北上川に沿った堤防に出ます。
そのまま川沿いを河口に向かいます。
右手にある野球場のグランドには、
仮設住宅がびっしり並んでいます。
2kmほどで開北橋です。
さらに川沿いを進むと、右手にまた仮設住宅。
左手に見える水門は、いしのまき復興マラソンのコースでした。
このあたりは津波が押し寄せた地域なのですが、
大きな傷痕はみられません。
はっきりと、その影響が見えてくるのは、
子どもの頃、よく遊んだ住吉公園から。
川沿いをコンクリートの堤防で固めてあるので、
「石巻」の由来になった「巻石」のある小島に渡れません。
7kmを過ぎ、漫画館のある中瀬を左に見て、右手は町の中心地。
でも、津波で建物がずいぶん崩壊、空き地が多くなっています。
そのまま河口に向かうと、
町がほとんどなくなった門脇地区です。
ここで9km。
今度は河口を見渡せる日和山に上ります。
坂道は急ですが、それほど高い山ではないので、
すぐに登り切ってしまいます。
山の上にも公園があり、市内が一望出来ます。
2010年8月、たまたまここで市内の様子を写真に納めました。
2011年3月、震災直後、様子は一変していました。
現在(2015年9月)は、こうなっています。
反対側の町の中心を見てみます。
まず、2010年8月
そして震災直後です。
そして、次が2015年9月。
少しは復興の様子がわかるでしょうか。
日和山に来ると、どうしても町の復興の様子が気になります。
帰りは市街地を通り、実家まで。
17kmのLSDでしたが、
ジョギングをしている人とはほとんどすれ違いません。
たまにいても、クラブ活動をしているような若い方ばかり。
関東地方のような、女性や年配は、まず走っていません。
少しは復興しているかのように見えるのですが、
人々の心には、そんな余裕がないのいかしれません。
石巻のRUNは、走っていても、ちょっと重たい気分になるのでした。
石巻の風光明媚な環境の好さと、
市内の元の姿、被害直後、復興の市内の表情の変化を教えていただきありがとうございます!
ランニングをしながら感じたことを伝えていくのも意義のある事だと教えてもらった思いです。
これからはタイム以外のランの楽しさとか自分なりの多角的な見方を追求したい切っ掛けになりそうです。
by w (2015-09-25 02:38)
>W隊長
コメントありがとうございます。
6月にみんなで来たときは、
雨のために周囲の様子もよく見えませんでした。
ランニングだと、車でサッ通り過ぎるのと違い、
市内の様子がよくわかります。
それもRUNの楽しみですね。
by Jack (2015-09-25 16:20)
初めてコメントします。
石巻市には仕事で5〜6回行きました。
日和山の近くで泊まり、写真の日和大橋東詰めで待ち合わせするのが常でした。少し車で走ると女川町への峠があり、越えると高い所まで津波の痕跡がありました。大小の仮設住宅も残っています。
昨年春、女川町からジョグに出かけ偶然大川小学校に辿りついてしまいました。そう気付いた時、子供達の姿が学校と重なり涙が止まりませんでした。
また石巻を訪れる時は来ると思いますが、あの時は酷かったと過去形で話せたら良いと思います。
by コバ (2015-09-26 00:45)
〉コバさん
コメントありがとうございます。
女川から大川小学校へ走るなんて、
普通はあり得ないコース。
細い山のくねくね道を、
ダンプカーだけが通る道ですからね。
それをやったのですから、
偶然ではなく必然ですね。
大川小から西へ向かう川沿いは、
ヨシの繁る美しいコースですよ。
by jack (2015-09-26 10:45)
jackさん、雄勝って所から北上川まで往復しました。
某ゼネコンの宿舎だったのですが、コンビニまで2キロ、そこから5キロ走ると北上川でした。日曜日だったのでダンプカーは少なかったのですが狭い登り道をクネクネと走りました。
by コバ (2015-09-26 22:25)
〉コバさん
やはり雄勝からでしたか。納得です!
しかしコバさんなら、どこからどこまで走っても、
何ら不思議ではないのですが(笑)
by jack (2015-09-28 09:03)