東京マラソン 抽選結果 [東京マラソン]
本日16日は、東京マラソン抽選結果の発表日。
やはり、落選でした。
会社の同僚も、こぞって落選。
今のところ、私の知り合いに当選者はいません。
私はONE TOKYOのプレミアムメンバーという有料会員ですので、
あと一度だけチャンスがあります。
それにしても、10倍です。
いつか、ふたたび東京を走る日は来るのでしょうか。
走りたい、走れない。
東京マラソン
2013私の東京マラソン(最終回) [東京マラソン]
歌が聞こえた。
30キロをすぎた頃。それは走るほど生ギターの音とともに近づいてきた。
なんと、数メートル前にギターを弾いて歌うランナーがいるではないか。
「君のー心へー続くー架け橋へとー」。
オリンピックのテーマソングになった、ゆずの名曲だ。
思わず一緒に走りながら写真とビデオを撮影した。
歌が終わると聴きながら走っていた誰もが一斉に拍手した。
うっとりするような気持ちのいい瞬間だった。
「もう一曲」そんなリクエストも飛んだ。
「これしか歌えないんです」そういって、また同じ曲を始めた。
「誰にも言えないー涙があった・・・・」。
ずっと聴いていたかった。
花の銀座に戻ってきた。
既に33キロも過ぎ。
沿道の人が増えたような気がした。
ふくらはぎやら腿のうらに痛みはあるが大丈夫だ。完走できると確信した。
これまで沿道の人とタッチなどはほとんどしなかったけれど、やろうと決めた。
銀座通りのタッチを求めて出ている手には片っ端からタッチした。
マツヤが見えた。今度はビデオを撮ることにした。
銀座のにぎわう様子とともに音も一緒に残しておきたいから。
走りながら撮っていると「●●さん●●さん」私の名前を呼ばれた気がした。
振り返ると、大学のサークルの後輩K子さんだった。
「あれーつ!ありがとう!」。
既に通り過ぎていたので、会話はそれだけだった。
でも、飛び上がるほど嬉しかった。
足の痛みも、疲れも、気になっていたことは、その瞬間に忘れた。
応援って、こんなに力になるものなのか。
スポーツ選手でもないかぎり、社会人なって名前を呼んで応援してもらう経験なんてめったに出来ないだろう。
それも銀座の中央通りで。
こんなことも東京マラソンの魅力、醍醐味に違いない。
三越をすぎて左に曲がり、築地を目指す。
オープン間近の歌舞伎座が見えてきた。私の職場も近い。
同僚のSさんがここで待っていてくれているはず。
でも、なかなか姿が見えない。歌舞伎座をすぎた。
「私が遅いから、もう帰ったのだろう」そう思ったときに姿を見つけて手を振った。
ついでに彼女の写真も撮った。
嗚呼、なんて楽しいのだろう。
後輩も、Sさんも、あとで「笑顔だった」とか「余裕あったように見えた」と言ってくれた。
自然に笑みが浮かんだのだろう。だって、あんなに気持ち良かったのだから。
築地4丁目の交差点を過ぎた。
スタートしてから4時間30分が経過している。
もう少しスピードを出そう。ひょっとして5時間を切れるかもしれない。
いや、やはり無理かな。そんな計算をした。
右に曲がると東京マラソン最大の上り坂、勝島大橋だ。
見えた瞬間、橋を上るランナーたちが全員歩いているように見えた。
それだけスピードが出ていないのだろう。
私はまだ大丈夫、余裕がある。
沿道には相変わらず大勢の人がいろいろなものを持って待っていてくれる。
チョコレート、ようかん、みかん、飴、ピーナツ。女の子が「チョコもらってくださーい」と叫んでいた。食べたくはなかったけどいただいた。
「ありがとう」。
紙コップでコーラもいただいた。
その甘さが何ともいえなかった。
「ごちそうさま」。
タッチはずっと続けた。なんて楽しいのだろう。
勝島大橋を過ぎると、あと5キロだ。
まだ5キロもある。だけど、走ったらすぐに終わってしまう。
ちょっと寂しさもこみ上げてきた。
39キロ過ぎの東雲では和太鼓を演奏している。
ここで結婚退社した職場の後輩が赤ちゃんを抱いて待っているはず。
どこかな・・・・残念、見つからなかった。
ビッグサイトが見えてきた。いよいよだ。
GPSではもうすぐ5時間だ。
今回も切れそうにない。
でも、これだけ写真やビデオを撮っていたのだから仕方ない。最後まで走ったぞ。
もうすぐゴールだ。終わってしまう。ゴールだ。
正面で記念写真業者のカメラマンが写真を撮ってくれているはず。
前のランナーが手を高々とあげてポーズをとっている。
「早く手をおろしてくれ、私の顔がカメラから隠れてしまう」。
そう思いながら、私もポーズを撮ってゴールした。
夢のような時間が、終わった。
<あとがき>
ゴール後、ランナーは次々と品々を受け取る。
最初はメダルだ。
ボランティアの女性がズラリ待機していてメダルを首にかけてくれるのだ。
若い女性に人気が集まっているようだ。
ひまそうにしている年配女性の前に立った。
「メダルかけてください」
女性は「おめでとうございます」そう言ってかけてくれた。
金色のメダルは思っていたよりずっと重くて、立派だった。
石巻の両親にも、今度帰省するときに見せるつもりだ。
首にかけてあげようかな。
(おしまい)
最後まで読んでくださった素敵な方、ありがとうございました。
東京マラソンの記録は5時間8分で、目標の5時間切りは達成出来ませんでした。
これからマラソンは、オフシーンですね。
それでもランニングは続けていきます。
できるだけ更新は続けていきますが、少しだけお休みいたします。
30キロをすぎた頃。それは走るほど生ギターの音とともに近づいてきた。
なんと、数メートル前にギターを弾いて歌うランナーがいるではないか。
「君のー心へー続くー架け橋へとー」。
オリンピックのテーマソングになった、ゆずの名曲だ。
思わず一緒に走りながら写真とビデオを撮影した。
歌が終わると聴きながら走っていた誰もが一斉に拍手した。
うっとりするような気持ちのいい瞬間だった。
「もう一曲」そんなリクエストも飛んだ。
「これしか歌えないんです」そういって、また同じ曲を始めた。
「誰にも言えないー涙があった・・・・」。
ずっと聴いていたかった。
花の銀座に戻ってきた。
既に33キロも過ぎ。
沿道の人が増えたような気がした。
ふくらはぎやら腿のうらに痛みはあるが大丈夫だ。完走できると確信した。
これまで沿道の人とタッチなどはほとんどしなかったけれど、やろうと決めた。
銀座通りのタッチを求めて出ている手には片っ端からタッチした。
マツヤが見えた。今度はビデオを撮ることにした。
銀座のにぎわう様子とともに音も一緒に残しておきたいから。
走りながら撮っていると「●●さん●●さん」私の名前を呼ばれた気がした。
振り返ると、大学のサークルの後輩K子さんだった。
「あれーつ!ありがとう!」。
既に通り過ぎていたので、会話はそれだけだった。
でも、飛び上がるほど嬉しかった。
足の痛みも、疲れも、気になっていたことは、その瞬間に忘れた。
応援って、こんなに力になるものなのか。
スポーツ選手でもないかぎり、社会人なって名前を呼んで応援してもらう経験なんてめったに出来ないだろう。
それも銀座の中央通りで。
こんなことも東京マラソンの魅力、醍醐味に違いない。
三越をすぎて左に曲がり、築地を目指す。
オープン間近の歌舞伎座が見えてきた。私の職場も近い。
同僚のSさんがここで待っていてくれているはず。
でも、なかなか姿が見えない。歌舞伎座をすぎた。
「私が遅いから、もう帰ったのだろう」そう思ったときに姿を見つけて手を振った。
ついでに彼女の写真も撮った。
嗚呼、なんて楽しいのだろう。
後輩も、Sさんも、あとで「笑顔だった」とか「余裕あったように見えた」と言ってくれた。
自然に笑みが浮かんだのだろう。だって、あんなに気持ち良かったのだから。
築地4丁目の交差点を過ぎた。
スタートしてから4時間30分が経過している。
もう少しスピードを出そう。ひょっとして5時間を切れるかもしれない。
いや、やはり無理かな。そんな計算をした。
右に曲がると東京マラソン最大の上り坂、勝島大橋だ。
見えた瞬間、橋を上るランナーたちが全員歩いているように見えた。
それだけスピードが出ていないのだろう。
私はまだ大丈夫、余裕がある。
沿道には相変わらず大勢の人がいろいろなものを持って待っていてくれる。
チョコレート、ようかん、みかん、飴、ピーナツ。女の子が「チョコもらってくださーい」と叫んでいた。食べたくはなかったけどいただいた。
「ありがとう」。
紙コップでコーラもいただいた。
その甘さが何ともいえなかった。
「ごちそうさま」。
タッチはずっと続けた。なんて楽しいのだろう。
勝島大橋を過ぎると、あと5キロだ。
まだ5キロもある。だけど、走ったらすぐに終わってしまう。
ちょっと寂しさもこみ上げてきた。
39キロ過ぎの東雲では和太鼓を演奏している。
ここで結婚退社した職場の後輩が赤ちゃんを抱いて待っているはず。
どこかな・・・・残念、見つからなかった。
ビッグサイトが見えてきた。いよいよだ。
GPSではもうすぐ5時間だ。
今回も切れそうにない。
でも、これだけ写真やビデオを撮っていたのだから仕方ない。最後まで走ったぞ。
もうすぐゴールだ。終わってしまう。ゴールだ。
正面で記念写真業者のカメラマンが写真を撮ってくれているはず。
前のランナーが手を高々とあげてポーズをとっている。
「早く手をおろしてくれ、私の顔がカメラから隠れてしまう」。
そう思いながら、私もポーズを撮ってゴールした。
夢のような時間が、終わった。
<あとがき>
ゴール後、ランナーは次々と品々を受け取る。
最初はメダルだ。
ボランティアの女性がズラリ待機していてメダルを首にかけてくれるのだ。
若い女性に人気が集まっているようだ。
ひまそうにしている年配女性の前に立った。
「メダルかけてください」
女性は「おめでとうございます」そう言ってかけてくれた。
金色のメダルは思っていたよりずっと重くて、立派だった。
石巻の両親にも、今度帰省するときに見せるつもりだ。
首にかけてあげようかな。
(おしまい)
最後まで読んでくださった素敵な方、ありがとうございました。
東京マラソンの記録は5時間8分で、目標の5時間切りは達成出来ませんでした。
これからマラソンは、オフシーンですね。
それでもランニングは続けていきます。
できるだけ更新は続けていきますが、少しだけお休みいたします。
2013私の東京マラソン(その2) [東京マラソン]
強風で寒い1日になるとの天気予報だった。
でも、大勢のランナーに囲まれて走っているからだろうか。
ほんの少し汗をかく程度の快適なランニング日和だ。
日比谷交差点を右にまがる。ここからは日比谷通りを一直線だ。
大手町の読売新聞東京本社をスタートした箱根駅伝のランナーたちが通るルートでもある。
「箱根駅伝のランナー気分を味わえる」と何かに書いてあったっけ。
沿道で応援する人がいよいよ増えてきた。
職場の同僚を、学校の友人を、そして、見知らぬランナーたちを応援する人。]
1人でも大声を出して応援できる人って、かっこいい。
そんな人は日々の暮らしでも一生懸命生きているに違いない。
三田を過ぎるともうすぐ品川の折り返し点だ。
マラソン大会のテレビ中継などを観ていると、必ず折り返し点の様子が映し出される。
私も折り返す。おおっ、いっぱしのランナーになったような気がして嬉しい。
芝公園付近で応援に来てくれた家族と会った。
実を言うと折り返す前にも会うはずだった。
が、娘とスマホで連絡を取り合っていても場所がわからず、私は見つけられずに通り過ぎていた。
「今度は首都高の下にいる」とわかったのでスムーズに会えた。
事前に渡していたゼリーも受け取ることができた。
これによってエネルギー補充は出来たけど、
そのためのスマホによるやりとりで、だいぶ時間とスタミナをロスしたかもしれない。
さて、次に気になっていたのがトイレの問題だ。
「20キロ過ぎるとトイレも空く」と聞いていたが、これまで空いているところは見当たらない。
とにかく一度行きたい。後半に入ってトイレのために立ち止まってしまうと、また走れなくなるかもしれないという不安もある。
20キロをすぎにあった最初のトイレには並ぶ人の数が少ないような気がした。
どこのトイレに並ぶかどうかも慎重に決めないといけない。
並ぶ人が少なくても、トイレの数が少なければ時間がかかる。
トイレの数と並ぶ人の数の比率が問題なのだ。
一度通り過ぎたが、戻って並んだ。
そこは、トイレの数と並ぶ人の数が、ほぼ1:1の割合だった。
1分も待たなかった。ドアのない男性用は空いていたのだ。
ロスタイムはほとんどなし。ラッキー!
これで用は済んだ。安心して走れる。
晴海通りに入ると、すぐに42.195キロの中間点だ。
ここまで2時間31分。がんばれば5時間切れるかもしれない。
でも、今回は写真を撮ったりして楽しみたい。
足の痛みは多少あったが問題なさそうだ。
いよいよ銀座だ。数寄屋橋交差点、各有名ブランドのお洒落な店が並ぶ。
銀座の中心、和光を左に曲がる。「銀座だ、銀座だ」そう叫びたい気持ちだった。
東京マラソンはQちゃんを育てた名伯楽・小出監督が、当時の石原都知事に「市民ランナーに銀座を走らせたい」と言ったのがきっかけだったという。
今、私がしていることこそが目的だったわけだ。ありがとう、小出監督。
写真を撮りながら走る。反対車線は既に浅草を折り返したランナーが大勢こちらに走ってきている。
中央分離帯では立ち止まってストレッチをしている人も多い。
私の前方を走っていたランナーたちも次々歩き始めている。
前の人が歩くので左に避けると、その前のランナーも歩いている。右に左に避けながら走る。ジグザク走りはゴールまで続くことになる。
22キロをすぎて、最初の給食の看板があった。バナナが、むかれた状態で置いてある。手にすると、手がヌルリ。気持ちよくはない。手に付いたバナナをシャツでぬぐった。
京橋をすぎ、茅場町から左手に向かい、浅草・雷門を目指す。
「石巻の方ですか?」後ろからきた女性に声をかけられた。
サングラスをしているので年齢は不明だが、40代前半だろうか。「私も石巻なんです」
「石巻のどこですか?」
「牡鹿町です」(宮城県の突き出た牡鹿半島の先端付近。現在は石巻市に合併)
現在は石巻市内のの仮設住宅に住んでいるとのことだった。
去年は「がんばろう石巻」のシャツを着て走ったとか。
「がんばりましょう」後ろから声をかけた。
あとで思ったが、彼女は2年連続で当選したのだろうか?すごい強運だ。
やがて正面に雷門が見えた。ここでも写真を撮った。あとでニュースを観たら、雷門前で水泳の岩崎恭子や陸上の為末などのアスリートたちが並んでハイタッチをしていた。ひょっとして、と写真を確認したら確かに彼らが写っていた。せっかくだからハイタッチしておきたかった。
雷門を右に曲がるとスカイツリーがドーンと正面にそびえている。
東京マラソンは東京の観光名所を走ると言われているけれど、本当にその通りだと実感する。
雷門付近の給食ポイントには人形焼きがあると聞いていた。また、今回はバナナ同様にトマトも用意されているとTVや新聞でやたらケチャップメーカーが宣伝したいた。が、私は見つけられなかった。
とりあえずバナナとアンパンを食べた。
(つづく)
でも、大勢のランナーに囲まれて走っているからだろうか。
ほんの少し汗をかく程度の快適なランニング日和だ。
日比谷交差点を右にまがる。ここからは日比谷通りを一直線だ。
大手町の読売新聞東京本社をスタートした箱根駅伝のランナーたちが通るルートでもある。
「箱根駅伝のランナー気分を味わえる」と何かに書いてあったっけ。
沿道で応援する人がいよいよ増えてきた。
職場の同僚を、学校の友人を、そして、見知らぬランナーたちを応援する人。]
1人でも大声を出して応援できる人って、かっこいい。
そんな人は日々の暮らしでも一生懸命生きているに違いない。
三田を過ぎるともうすぐ品川の折り返し点だ。
マラソン大会のテレビ中継などを観ていると、必ず折り返し点の様子が映し出される。
私も折り返す。おおっ、いっぱしのランナーになったような気がして嬉しい。
芝公園付近で応援に来てくれた家族と会った。
実を言うと折り返す前にも会うはずだった。
が、娘とスマホで連絡を取り合っていても場所がわからず、私は見つけられずに通り過ぎていた。
「今度は首都高の下にいる」とわかったのでスムーズに会えた。
事前に渡していたゼリーも受け取ることができた。
これによってエネルギー補充は出来たけど、
そのためのスマホによるやりとりで、だいぶ時間とスタミナをロスしたかもしれない。
さて、次に気になっていたのがトイレの問題だ。
「20キロ過ぎるとトイレも空く」と聞いていたが、これまで空いているところは見当たらない。
とにかく一度行きたい。後半に入ってトイレのために立ち止まってしまうと、また走れなくなるかもしれないという不安もある。
20キロをすぎにあった最初のトイレには並ぶ人の数が少ないような気がした。
どこのトイレに並ぶかどうかも慎重に決めないといけない。
並ぶ人が少なくても、トイレの数が少なければ時間がかかる。
トイレの数と並ぶ人の数の比率が問題なのだ。
一度通り過ぎたが、戻って並んだ。
そこは、トイレの数と並ぶ人の数が、ほぼ1:1の割合だった。
1分も待たなかった。ドアのない男性用は空いていたのだ。
ロスタイムはほとんどなし。ラッキー!
これで用は済んだ。安心して走れる。
晴海通りに入ると、すぐに42.195キロの中間点だ。
ここまで2時間31分。がんばれば5時間切れるかもしれない。
でも、今回は写真を撮ったりして楽しみたい。
足の痛みは多少あったが問題なさそうだ。
いよいよ銀座だ。数寄屋橋交差点、各有名ブランドのお洒落な店が並ぶ。
銀座の中心、和光を左に曲がる。「銀座だ、銀座だ」そう叫びたい気持ちだった。
東京マラソンはQちゃんを育てた名伯楽・小出監督が、当時の石原都知事に「市民ランナーに銀座を走らせたい」と言ったのがきっかけだったという。
今、私がしていることこそが目的だったわけだ。ありがとう、小出監督。
写真を撮りながら走る。反対車線は既に浅草を折り返したランナーが大勢こちらに走ってきている。
中央分離帯では立ち止まってストレッチをしている人も多い。
私の前方を走っていたランナーたちも次々歩き始めている。
前の人が歩くので左に避けると、その前のランナーも歩いている。右に左に避けながら走る。ジグザク走りはゴールまで続くことになる。
22キロをすぎて、最初の給食の看板があった。バナナが、むかれた状態で置いてある。手にすると、手がヌルリ。気持ちよくはない。手に付いたバナナをシャツでぬぐった。
京橋をすぎ、茅場町から左手に向かい、浅草・雷門を目指す。
「石巻の方ですか?」後ろからきた女性に声をかけられた。
サングラスをしているので年齢は不明だが、40代前半だろうか。「私も石巻なんです」
「石巻のどこですか?」
「牡鹿町です」(宮城県の突き出た牡鹿半島の先端付近。現在は石巻市に合併)
現在は石巻市内のの仮設住宅に住んでいるとのことだった。
去年は「がんばろう石巻」のシャツを着て走ったとか。
「がんばりましょう」後ろから声をかけた。
あとで思ったが、彼女は2年連続で当選したのだろうか?すごい強運だ。
やがて正面に雷門が見えた。ここでも写真を撮った。あとでニュースを観たら、雷門前で水泳の岩崎恭子や陸上の為末などのアスリートたちが並んでハイタッチをしていた。ひょっとして、と写真を確認したら確かに彼らが写っていた。せっかくだからハイタッチしておきたかった。
雷門を右に曲がるとスカイツリーがドーンと正面にそびえている。
東京マラソンは東京の観光名所を走ると言われているけれど、本当にその通りだと実感する。
雷門付近の給食ポイントには人形焼きがあると聞いていた。また、今回はバナナ同様にトマトも用意されているとTVや新聞でやたらケチャップメーカーが宣伝したいた。が、私は見つけられなかった。
とりあえずバナナとアンパンを食べた。
(つづく)
2013私の東京マラソン(その1) [東京マラソン]
午前9時10分、号砲が鳴った。
一斉にランナーたちがスタートする。
紙ふぶきが上空を舞う中、いよいよ42.195キロの長い競走が始まった・・・・・・・
そんな場面を想像していたが、実際はだいぶ違った。
私はスタートラインの1キロぐらい後方で、ひたすら寒さに耐えていた。
風が強い。
号砲も、紙ふぶきとも無縁で、ひたすら前の人が走り出すことを待っていた。
ランナーは招待選手などのエリートランナーを先頭に、
AからKまで申告タイムをもとにスタートの順番のブロックが決められている。
もちろん速い人がA。きっと2時間台で走ったことがある人たちだろう。
私は5時間15分で申告していたので、後ろから2番目のJブロックだ。
しかも直前までブラブラ写真を撮っていたら大混雑のためにJブロックにたどり着けず、
Kの後ろの最後尾でスタートすることになってしまったのだ。
まあ、実力のない私には最後尾がぴったりだろう。
それにしても、いつになったらスタートができるのだろう。
どんなきっかけで走り出したかは思い出せない。
本来のスタート時間から20分くらいたって前の人が動き始めた。
スタートか?しばらく走って左に曲がりしばらく進むとスタート地点が見えてきた。
左側にある都庁前のステージには猪瀬都知事やミス・インターナショナルの女性などが立っていた。
右側の台にはカメラマンたちが荷物の整理をしていた。
知り合いのカメラマンがいないかと探したけれど、ひと目みただけではわからなかった。
いつのまにか周囲は猛スピードで駆けている。
GPSのスタートボタンを押し、スマホで写真を撮り、あわただしくスタートした。
最後尾のグループなのに、どんどん私は追い越されていく。
最初の1キロだけで1000人以上に抜かれたのではないだろうか。
このままだと3万6千人の最下位になってしまいそうだ。ちょっとあせる。
GPSを見ると1キロ6分を切るペースだ。速い。このままでは最後までもたない。
6分40秒まで遅くする。いや、まだ速い。どんどん追い越されるが、我慢する。
私は考えていた。今、私を追い越していくランナーの多くは、30キロすぎに歩き出す人が多いのではないかと。
「マラソントレーニング」の著者である島田佳久氏は、「スタートを飛ばすランナーの多くは30キロ過ぎて歩き出すでしょう」と書いている。
私も一ヶ月前の館山若潮マラソンで痛い目にあっている。
周囲に合わせて、やや快調なペースで走っていたら、20キロを過ぎて、まともに走れなくなってしまったのだ。今日は絶対歩かない。そう決めていた。
前回痛かったひざ裏が、今回も少し痛むような気がした。もう少しストレッチを入念にすべきだった。悔いが残る。ガードをくぐり歌舞伎町のドンキホーテの前を通過した。
今回のコースのほとんどは、車などで何度も通過したことがある慣れた道だ。でも、慣れた道だからこそ、ど真ん中を走る喜びはなんともいえない。気持ちいい。
まだ沿道の人はそれほど多くない。といっても途絶えることはない。
たった一人で「がんばれー」声を出しているおじさん。おばさん。若い女性。どんな人たちなんだろう。
応援するのが好きなのか。「ありがとう」そう返事をしたいが、スタミナを温存したい。
ハイタッチをしようと手を出している家族連れ。ありがとう。
スタートしてすぐのトイレは空いている。そんなコメントを何かで読んだ。
しかし、レース前に用を足せなかった人も多いのだろう。
既にいくつかのトイレを見たが、どこも行列だ。
10分以上並ぶこともあるという話を聞いた。そうなってしまったら、とんでもないロスタイムだ。
幸い都庁の手前の地下鉄のトイレで済ましていたので、とうぶん大丈夫だ。
防衛庁の前をすぎ、市ヶ谷に出た。お堀に沿って走っていると5キロの関門がある
。時間制限は10時45分。まだ余裕はあるが、もともと20分以上遅れてスタートしているため、ぼやぼやしていると時間制限にかかる可能性もあるのではないか?ちょっとそんな思いもよぎった。
5キロを過ぎ、最初の給水所でアミノバリューを飲んだ。
スタート前に水分がとれなかったので、早くとりたかった。
「早め早めにとるのがコツ」。のどが渇いてからでは遅い。と、金哲彦氏の著書にあった。
飯田橋の交差点を界隈のひとつだ。
東京大神宮の入り口付近には、私がマラソンを始めるきっかけを作ってくれた友人の事務所がある。
体調が悪くて来られないと聞いていたけれど、つい姿をさがしてしまった。
九段下から竹橋に出ると、しばらく内堀通り。皇居沿いのコースになる。
何度か皇居を走ったことがあるが、いつもとは逆の方向に走ることになる。
左手に毎日新聞。そして目前には大手町の高層ビル街が迫る。
空は青い。スタート前は寒かったが、今は気温もちょうどいい。
ほんの少し汗をかいている。ゆっくり前を走る2人の女性が目についた。
サザエさんがモチーフだろうか。背中に「宮城県」「ご支援ありがとう」と書いてあった。
「宮城県のどこですか?」たずねてみた。
「名取です」
名取とは、仙台のすぐ隣。仙台空港は仙台市と名取市にまたがっている。
もちろん沿岸部は津波で大変な被害を受けている。
「私は石巻ですよ」
「あら、まあ、ご家族とか親戚とか大丈夫でしたか?」
「まあ、いろいろありました」。
とても詳しく話すのはためらわれる。そんな気持ちが伝わったか、「ないわけないですよね」。
そう、ないわけないのだ。
「5月の仙台ハーフマラソンマラソンにも出てください」
「ちょうどそこは出張なんです」
「じゃあ来年!」
「ぜひ、出場します」
「石巻ランニングクラブの方々によろしくお伝えください」女性たちが背中の文字を見て言ってくれた。
手を振って、先へ向かった。
(つづく)
一斉にランナーたちがスタートする。
紙ふぶきが上空を舞う中、いよいよ42.195キロの長い競走が始まった・・・・・・・
そんな場面を想像していたが、実際はだいぶ違った。
私はスタートラインの1キロぐらい後方で、ひたすら寒さに耐えていた。
風が強い。
号砲も、紙ふぶきとも無縁で、ひたすら前の人が走り出すことを待っていた。
ランナーは招待選手などのエリートランナーを先頭に、
AからKまで申告タイムをもとにスタートの順番のブロックが決められている。
もちろん速い人がA。きっと2時間台で走ったことがある人たちだろう。
私は5時間15分で申告していたので、後ろから2番目のJブロックだ。
しかも直前までブラブラ写真を撮っていたら大混雑のためにJブロックにたどり着けず、
Kの後ろの最後尾でスタートすることになってしまったのだ。
まあ、実力のない私には最後尾がぴったりだろう。
それにしても、いつになったらスタートができるのだろう。
どんなきっかけで走り出したかは思い出せない。
本来のスタート時間から20分くらいたって前の人が動き始めた。
スタートか?しばらく走って左に曲がりしばらく進むとスタート地点が見えてきた。
左側にある都庁前のステージには猪瀬都知事やミス・インターナショナルの女性などが立っていた。
右側の台にはカメラマンたちが荷物の整理をしていた。
知り合いのカメラマンがいないかと探したけれど、ひと目みただけではわからなかった。
いつのまにか周囲は猛スピードで駆けている。
GPSのスタートボタンを押し、スマホで写真を撮り、あわただしくスタートした。
最後尾のグループなのに、どんどん私は追い越されていく。
最初の1キロだけで1000人以上に抜かれたのではないだろうか。
このままだと3万6千人の最下位になってしまいそうだ。ちょっとあせる。
GPSを見ると1キロ6分を切るペースだ。速い。このままでは最後までもたない。
6分40秒まで遅くする。いや、まだ速い。どんどん追い越されるが、我慢する。
私は考えていた。今、私を追い越していくランナーの多くは、30キロすぎに歩き出す人が多いのではないかと。
「マラソントレーニング」の著者である島田佳久氏は、「スタートを飛ばすランナーの多くは30キロ過ぎて歩き出すでしょう」と書いている。
私も一ヶ月前の館山若潮マラソンで痛い目にあっている。
周囲に合わせて、やや快調なペースで走っていたら、20キロを過ぎて、まともに走れなくなってしまったのだ。今日は絶対歩かない。そう決めていた。
前回痛かったひざ裏が、今回も少し痛むような気がした。もう少しストレッチを入念にすべきだった。悔いが残る。ガードをくぐり歌舞伎町のドンキホーテの前を通過した。
今回のコースのほとんどは、車などで何度も通過したことがある慣れた道だ。でも、慣れた道だからこそ、ど真ん中を走る喜びはなんともいえない。気持ちいい。
まだ沿道の人はそれほど多くない。といっても途絶えることはない。
たった一人で「がんばれー」声を出しているおじさん。おばさん。若い女性。どんな人たちなんだろう。
応援するのが好きなのか。「ありがとう」そう返事をしたいが、スタミナを温存したい。
ハイタッチをしようと手を出している家族連れ。ありがとう。
スタートしてすぐのトイレは空いている。そんなコメントを何かで読んだ。
しかし、レース前に用を足せなかった人も多いのだろう。
既にいくつかのトイレを見たが、どこも行列だ。
10分以上並ぶこともあるという話を聞いた。そうなってしまったら、とんでもないロスタイムだ。
幸い都庁の手前の地下鉄のトイレで済ましていたので、とうぶん大丈夫だ。
防衛庁の前をすぎ、市ヶ谷に出た。お堀に沿って走っていると5キロの関門がある
。時間制限は10時45分。まだ余裕はあるが、もともと20分以上遅れてスタートしているため、ぼやぼやしていると時間制限にかかる可能性もあるのではないか?ちょっとそんな思いもよぎった。
5キロを過ぎ、最初の給水所でアミノバリューを飲んだ。
スタート前に水分がとれなかったので、早くとりたかった。
「早め早めにとるのがコツ」。のどが渇いてからでは遅い。と、金哲彦氏の著書にあった。
飯田橋の交差点を界隈のひとつだ。
東京大神宮の入り口付近には、私がマラソンを始めるきっかけを作ってくれた友人の事務所がある。
体調が悪くて来られないと聞いていたけれど、つい姿をさがしてしまった。
九段下から竹橋に出ると、しばらく内堀通り。皇居沿いのコースになる。
何度か皇居を走ったことがあるが、いつもとは逆の方向に走ることになる。
左手に毎日新聞。そして目前には大手町の高層ビル街が迫る。
空は青い。スタート前は寒かったが、今は気温もちょうどいい。
ほんの少し汗をかいている。ゆっくり前を走る2人の女性が目についた。
サザエさんがモチーフだろうか。背中に「宮城県」「ご支援ありがとう」と書いてあった。
「宮城県のどこですか?」たずねてみた。
「名取です」
名取とは、仙台のすぐ隣。仙台空港は仙台市と名取市にまたがっている。
もちろん沿岸部は津波で大変な被害を受けている。
「私は石巻ですよ」
「あら、まあ、ご家族とか親戚とか大丈夫でしたか?」
「まあ、いろいろありました」。
とても詳しく話すのはためらわれる。そんな気持ちが伝わったか、「ないわけないですよね」。
そう、ないわけないのだ。
「5月の仙台ハーフマラソンマラソンにも出てください」
「ちょうどそこは出張なんです」
「じゃあ来年!」
「ぜひ、出場します」
「石巻ランニングクラブの方々によろしくお伝えください」女性たちが背中の文字を見て言ってくれた。
手を振って、先へ向かった。
(つづく)
東京マラソンから3日たちました [東京マラソン]
東京マラソン完走です [東京マラソン]
いよいよ東京マラソン、明日ですね! [東京マラソン]
いよいよですね。
緊張してきました。
今日は昼頃にスポーツクラブでマッサージをしました。
その後、新宿へ行き、スタート会場の下見です。
地下鉄降りてから、荷物を預け、スタート地点までの導線と、
トイレ事情を確認したかったのです。
自宅からはいといろなルートが考えられますが、
東西線で飯田橋へ行き、大江戸線に乗り換えることにしました。
大江戸線では飯田橋が混んでいたら、若松河田のトイレに寄ることにしました。
若松河田は都庁に近く、乗り換えなどの線がないことから、
空いていると予想されます。
でも、誰もが同じことを考えるかもしれませんね。
大江戸線から都庁に行くのは初めてです。
明日、よけいなエネルギーを使わないようにしたいのですが、
たぶん大丈夫でしょう。
都庁は準備真っ最中でした。
それから寒かった。
トイレもずいぶんありました。
あれでも行列ができるのですね。
もし、東京マラソンに出場予定の方がこれを読んでいられたら、
お互い、楽しいレースにしましょうね!
また、ボランティアをされる方が読んでいられたら、
ありがとうございます。よろしくお願いします。
明日、少しでも暖かくなることを期待しています。
素晴らしい1日になることを祈って・・・・・・・
緊張してきました。
今日は昼頃にスポーツクラブでマッサージをしました。
その後、新宿へ行き、スタート会場の下見です。
地下鉄降りてから、荷物を預け、スタート地点までの導線と、
トイレ事情を確認したかったのです。
自宅からはいといろなルートが考えられますが、
東西線で飯田橋へ行き、大江戸線に乗り換えることにしました。
大江戸線では飯田橋が混んでいたら、若松河田のトイレに寄ることにしました。
若松河田は都庁に近く、乗り換えなどの線がないことから、
空いていると予想されます。
でも、誰もが同じことを考えるかもしれませんね。
大江戸線から都庁に行くのは初めてです。
明日、よけいなエネルギーを使わないようにしたいのですが、
たぶん大丈夫でしょう。
都庁は準備真っ最中でした。
それから寒かった。
トイレもずいぶんありました。
あれでも行列ができるのですね。
もし、東京マラソンに出場予定の方がこれを読んでいられたら、
お互い、楽しいレースにしましょうね!
また、ボランティアをされる方が読んでいられたら、
ありがとうございます。よろしくお願いします。
明日、少しでも暖かくなることを期待しています。
素晴らしい1日になることを祈って・・・・・・・
東京マラソンのゼッケン取りにビッグサイトへ [東京マラソン]
ゼッケンをとりに東京ビッグサイトへ行ってきました。
平日の昼過ぎということで空いていました。
受け付けのおじさんもお姉さんも感じがいいです。
免許証でチェックし、ゼッケンを受け取ります。
「みなさん、やはりボランティアなのですか?」
「はい、仕事を休んでやってます」
東京マラソンは、1万人以上のボランティアに支えられています。
私も来年は外れるでしょうから、ボランティアをしようかと思います。
人のために役に立つって気持ちいいですよね。
続いてTシャツを受け取りました。
黄色でおしゃれなスポーツシャツです。
ここまで本当にスムーズでした。
そして、おじさんたちが本当に感じよかったです。
その後、ランさんのアドバイス通りにBMWのブースでアンケートに答え、
タオルをいただきました。
asicsで限定のキャップを買い、
お得というのでアミノサプリや、ゼリーなどを買っていたら、
あっというまにお金がどんどんなくなっていきました。
東京マラソンのコースをランナーの視線で早送りで見るコーナーや、
抽選コーナー、いろいろ楽しめました。
大阪マラソンやベニス、伊豆大島のマラソン大会のチラシをもらったり、
ファンテンのパワーテープをつい、買っちゃったり。
おみやげも、記念のコーヒーカップ1200円が欲しかったのですが、
重たいのでやめました。
出場者全員の名前が書いてあるポスターも1000円で売っていました。
新聞の活字の半分以下の大きさで、名前がビッシリ。
自分の名前を探そうと思いましたが、挫折しました。
そうこうしているうちに時はあっというまに過ぎていきました。
金哲彦さんのアドバイスコーナーもあと30分で始まるところでしたが、
混んできたし、荷物が多すぎるので帰ることにしました。
荷物が多すぎる一番の理由は、
アミノサプリで、2000円で、セットを買ったためです。
中身は顆粒のアミノバリュー(1箱10袋セット)、ジョグメイトプロテインゼリー1、
カロリーメートゼリー1、アミノバリューコンク1、ランニング手袋2013年モデル。
そらにアミノバリューのペットボトル500mlまで入っていたのです。
お姉さんが、サービスにアミノバリュー1袋をさらにくれました。
仲間と一緒に来ていたら、記念写真を撮ったり、もっと楽しめたでしょう。
さて、2日後がいよいよ本番です。
楽しみ。そして、ちょっと不安です。
明日はマッサージをしようと思います。
平日の昼過ぎということで空いていました。
受け付けのおじさんもお姉さんも感じがいいです。
免許証でチェックし、ゼッケンを受け取ります。
「みなさん、やはりボランティアなのですか?」
「はい、仕事を休んでやってます」
東京マラソンは、1万人以上のボランティアに支えられています。
私も来年は外れるでしょうから、ボランティアをしようかと思います。
人のために役に立つって気持ちいいですよね。
続いてTシャツを受け取りました。
黄色でおしゃれなスポーツシャツです。
ここまで本当にスムーズでした。
そして、おじさんたちが本当に感じよかったです。
その後、ランさんのアドバイス通りにBMWのブースでアンケートに答え、
タオルをいただきました。
asicsで限定のキャップを買い、
お得というのでアミノサプリや、ゼリーなどを買っていたら、
あっというまにお金がどんどんなくなっていきました。
東京マラソンのコースをランナーの視線で早送りで見るコーナーや、
抽選コーナー、いろいろ楽しめました。
大阪マラソンやベニス、伊豆大島のマラソン大会のチラシをもらったり、
ファンテンのパワーテープをつい、買っちゃったり。
おみやげも、記念のコーヒーカップ1200円が欲しかったのですが、
重たいのでやめました。
出場者全員の名前が書いてあるポスターも1000円で売っていました。
新聞の活字の半分以下の大きさで、名前がビッシリ。
自分の名前を探そうと思いましたが、挫折しました。
そうこうしているうちに時はあっというまに過ぎていきました。
金哲彦さんのアドバイスコーナーもあと30分で始まるところでしたが、
混んできたし、荷物が多すぎるので帰ることにしました。
荷物が多すぎる一番の理由は、
アミノサプリで、2000円で、セットを買ったためです。
中身は顆粒のアミノバリュー(1箱10袋セット)、ジョグメイトプロテインゼリー1、
カロリーメートゼリー1、アミノバリューコンク1、ランニング手袋2013年モデル。
そらにアミノバリューのペットボトル500mlまで入っていたのです。
お姉さんが、サービスにアミノバリュー1袋をさらにくれました。
仲間と一緒に来ていたら、記念写真を撮ったり、もっと楽しめたでしょう。
さて、2日後がいよいよ本番です。
楽しみ。そして、ちょっと不安です。
明日はマッサージをしようと思います。
コースを下見しました [東京マラソン]
週間天気予報では東京マラソン当日は晴れ時々曇り。
最高気温10度。最低気温2度です。
今のところ雨の心配はないようですが、
走り出すまでの寒さが心配です。
使い捨てのポンチョを用意しました。
20日は築地でランチでしたので、
ついでに散歩がてらコースの下見をしました。
銀座から晴海通りを南下して築地4丁目の交差点を左に折れ、
佃大橋にいたるまでの34~36キロのあたり。
東京マラソンは平坦で走りやすいと聞いていますが、
それでも後半はいくつも橋があり、
疲れきった足には、相当こたえるのではないかと思います。
歌舞伎座の前から首都高にかかる橋でも、
アップダウンがありました。
写真は佃大橋。橋の中央部が36キロ地点です。
上りが厳しそうです。
2年前、築地や茅場町付近の沿道で東京マラソンを応援しました。
ただ、ぼんやりと駆けていくランナーたちを見ていました。
今年は、その道を自分が走るなんて。
22日の昼過ぎにゼッケンをとりにビッグサイトへ行ってきます!
最高気温10度。最低気温2度です。
今のところ雨の心配はないようですが、
走り出すまでの寒さが心配です。
使い捨てのポンチョを用意しました。
20日は築地でランチでしたので、
ついでに散歩がてらコースの下見をしました。
銀座から晴海通りを南下して築地4丁目の交差点を左に折れ、
佃大橋にいたるまでの34~36キロのあたり。
東京マラソンは平坦で走りやすいと聞いていますが、
それでも後半はいくつも橋があり、
疲れきった足には、相当こたえるのではないかと思います。
歌舞伎座の前から首都高にかかる橋でも、
アップダウンがありました。
写真は佃大橋。橋の中央部が36キロ地点です。
上りが厳しそうです。
2年前、築地や茅場町付近の沿道で東京マラソンを応援しました。
ただ、ぼんやりと駆けていくランナーたちを見ていました。
今年は、その道を自分が走るなんて。
22日の昼過ぎにゼッケンをとりにビッグサイトへ行ってきます!
東京マラソンまで2週間 [東京マラソン]
東京マラソンまで2週間となりました。
いよいよですね。
1月27日に初めてフルマラソンを走った影響について書きます。
当日、翌日はまともに駅の階段があがれないなど、
予想していた以上の痛みが続きました。
4、5日で筋肉痛はとれ、現在はトレーニングを再開しています。
館山若潮マラソンの前日まで、
「完走したら東京マラソンに悪影響があるかもしれない」と心配していましたが。
杞憂でした。
2月2日には2度目の皇居ランを行いました。
皇居は気持ちいいですね。
自宅のある駅から竹橋までなら東西線で20分ほど。
家の近所を走るより楽しいです。
さて、実行委員会から完走の証明書が届きました。
それで正式なタイムがわかりました。
5時間29分。
なんとか5時間半は切っていました。
目標より30分も遅かったのですが、完走したことは本当に自信になりました。
あと2週間。
今週末は20キロ走を一度しておこうと思っています。
いよいよですね。
1月27日に初めてフルマラソンを走った影響について書きます。
当日、翌日はまともに駅の階段があがれないなど、
予想していた以上の痛みが続きました。
4、5日で筋肉痛はとれ、現在はトレーニングを再開しています。
館山若潮マラソンの前日まで、
「完走したら東京マラソンに悪影響があるかもしれない」と心配していましたが。
杞憂でした。
2月2日には2度目の皇居ランを行いました。
皇居は気持ちいいですね。
自宅のある駅から竹橋までなら東西線で20分ほど。
家の近所を走るより楽しいです。
さて、実行委員会から完走の証明書が届きました。
それで正式なタイムがわかりました。
5時間29分。
なんとか5時間半は切っていました。
目標より30分も遅かったのですが、完走したことは本当に自信になりました。
あと2週間。
今週末は20キロ走を一度しておこうと思っています。