初めてのフルマラソン挑戦2 <館山若潮マラソン> [舘山若潮マラソン]
25キロを過ぎたあたりだった。
エイドステーションで立ち止まり、アクエリアスを飲み、
バナナを2本とクリームパンを食べた。
走って食べるとお腹が痛くなりそうなイメージだけど、
とにかくお腹がすいていた。
そして痛くはならなかった。
ひと呼吸おいて、さて上り坂に挑もうと一歩を踏み出したとたん、
ひざの裏側に、これまでより激しい痛みが走った。
もともと15キロあたりから、ひざ裏に痛みを感じていた。それは徐々に強くなっていた。
それが一気に爆発したような感じだ。
痛くて普通に走れない。
前に進もうとすると、よたよたとバランスが悪くなってしまう。
もう一歩、二歩と走り続ければ楽になるかと思ったが、
その二歩目も三歩目も痛みは変わらない。
走れない。
しばし歩いて坂道をのぼることにした。
「一度歩くと、走れなくなる」。
そんな話を聞いたことがあるが、これがそうなのか。
バナナもアクエリアスも、走りながら食べるべきだったのか。
走りたい。でも走れない。情けない。
これまでの国道などと違って道は細くなり、車もときどき横を通る。
私と同じぐらいの身長(180超)のある女性が私を抜いていく。
スポーツ選手だろうか。カッコイイ。
と思ったら私の数メートル前で歩き始めた。
やはりみんな疲れている。多かれ少なかれ、痛みを感じているのかもしれない。
歯を食いしばり、痛みをこらえて走り始める。
でも、スピードはでない。
せいぜい1キロ8分後半。
坂道はいっそう長く、急になる。
坂を上りきったと思っても、すぐにまた次に上りが現れる。
20キロ以降はずーと坂道ではないか!
ひざ裏の痛みは、徐々に激しく、範囲も広がっていく。
30キロを過ぎた。
もう上り坂では歩くことにした。
上り坂は走れない。
走っても、歩くのとほとんど速度はかわらないのだが。
「がんばれー」
そんな坂道でも、時折声援してくれる人たちがいた。
ありがとう。ありがとう。
返事は出来なかったけれど、ひとつひとつがしみる。
期待に応えて走りたいけれど、思い通りにならない。
平坦になると走ってみるけど、上り坂では走れなくなり止る。
止まると、なかなか走れなくなる。
そんなことの繰り返しだ。
70歳をすぎたと思われる男性に抜かれる。
でも、屈強そうな若者を追い越すこともある。
タイムはトレーニング次第なんだな。
努力はきっと報われる。
35キロをようやく過ぎた。
あと7キロ。今は1キロ9分弱のペースだから、7キロ×9分=63。
まだ1時間以上もこの痛みと戦わないといけない計算になる。
気が遠くなるほど長い時間ではないか。
しばらく下りが続き、ようやく海に出た。
相変わらず空は青く、風はない。天候に恵まれた大会と言っていいだろう。
交通規制は既に解除されているのか、車がすぐ横を通る。
左に寄り、路肩を走るのだが、歩いている人の横を抜けるためには後ろから来る車に注意しなければならない。
そして、まだゆるい上りがあり、そのつど私は歩いた。
沿道にはときどき、撮影用のポイントがあり、
カメラマンたちがこちらにレンズを向けている。
私自身も写真に関する仕事をしていて、大勢のスポーツカメラマンを知っている。
でも、そんな私や同僚よりも、長髪で日焼けしてい彼らのほうがずっとカメラマンらしくてかっこいい。
きっといい写真を撮ってもらえただろう。
スタートから5時間近く経っている。それでも、沿道には応援してくれる大勢の方がいる。
「あと5キロだぞ」
「あと一息だ」
「がんばれ」だけでなく、後半は具体的なメッセージが多い。
そして、嬉しかったのが「もう坂道はないぞ」
声に出して「ありがとう」と言う気力はなかったけれど、
ひとつひとつが胸にしみた。
39キロ。いよいよあと3キロだ。
ハイペースに走っているならあっという間かもしれない。
しかし、私のペースでは3キロ×9分=27分もかかる。
まだ、30分くらい苦痛に耐えなければならないのだ。
距離の表示を見るたびに、そんな計算をして痛みをこらえた。
「5時間半を目指せー」そんな応援が聞こえた。
現在4時間55分。そうか。目標の5時間切りはとっくに無理だ。
5時間半とは、想像しなかった遅いタイムだ。
気がつくと5時間半のペースメーカーのお兄さんが後ろからやってきた。
5時間半とは、こんなに遅いペースなんだ。
がんばって、前に出た。
でも、そこまでだった。
5時間半の人たちも、やがて遠くに行ってしまった。
あと1キロ。私のGPSを見ると、5時間20分。頑張れば5時間30分は切れる。
「まだ頑張れる。頑張れる」。明らかにその女性の声は私に向かっていた。(と、信じている)
嬉しくて、小さくうなずいた。
そして歯をくいしばった。
でも、速度はほとんど変わらなかった。
すでにゴールをして、駐車場などでへ向かう人たちとすれ違う。
朝日新聞の旗がゴール付近にいっぱいはためいていた。
もうすぐゴールだ。5時間33分と表示されている。
私は後方スタートだから、もう少しタイムはいいはずだ。
GPSでは5時間28分台だ。
ゴール。
テープを切るイメージはあったが、そんなものあるわけなかった。
ゴールをした達成感。特にそのときは感じなかった。
ただ、もう走らなくても済むという安堵感だった。
とにかく、終わった。
これで堂々と歩ける。
(おしまい)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
後日、あとがきもアップしますね。
エイドステーションで立ち止まり、アクエリアスを飲み、
バナナを2本とクリームパンを食べた。
走って食べるとお腹が痛くなりそうなイメージだけど、
とにかくお腹がすいていた。
そして痛くはならなかった。
ひと呼吸おいて、さて上り坂に挑もうと一歩を踏み出したとたん、
ひざの裏側に、これまでより激しい痛みが走った。
もともと15キロあたりから、ひざ裏に痛みを感じていた。それは徐々に強くなっていた。
それが一気に爆発したような感じだ。
痛くて普通に走れない。
前に進もうとすると、よたよたとバランスが悪くなってしまう。
もう一歩、二歩と走り続ければ楽になるかと思ったが、
その二歩目も三歩目も痛みは変わらない。
走れない。
しばし歩いて坂道をのぼることにした。
「一度歩くと、走れなくなる」。
そんな話を聞いたことがあるが、これがそうなのか。
バナナもアクエリアスも、走りながら食べるべきだったのか。
走りたい。でも走れない。情けない。
これまでの国道などと違って道は細くなり、車もときどき横を通る。
私と同じぐらいの身長(180超)のある女性が私を抜いていく。
スポーツ選手だろうか。カッコイイ。
と思ったら私の数メートル前で歩き始めた。
やはりみんな疲れている。多かれ少なかれ、痛みを感じているのかもしれない。
歯を食いしばり、痛みをこらえて走り始める。
でも、スピードはでない。
せいぜい1キロ8分後半。
坂道はいっそう長く、急になる。
坂を上りきったと思っても、すぐにまた次に上りが現れる。
20キロ以降はずーと坂道ではないか!
ひざ裏の痛みは、徐々に激しく、範囲も広がっていく。
30キロを過ぎた。
もう上り坂では歩くことにした。
上り坂は走れない。
走っても、歩くのとほとんど速度はかわらないのだが。
「がんばれー」
そんな坂道でも、時折声援してくれる人たちがいた。
ありがとう。ありがとう。
返事は出来なかったけれど、ひとつひとつがしみる。
期待に応えて走りたいけれど、思い通りにならない。
平坦になると走ってみるけど、上り坂では走れなくなり止る。
止まると、なかなか走れなくなる。
そんなことの繰り返しだ。
70歳をすぎたと思われる男性に抜かれる。
でも、屈強そうな若者を追い越すこともある。
タイムはトレーニング次第なんだな。
努力はきっと報われる。
35キロをようやく過ぎた。
あと7キロ。今は1キロ9分弱のペースだから、7キロ×9分=63。
まだ1時間以上もこの痛みと戦わないといけない計算になる。
気が遠くなるほど長い時間ではないか。
しばらく下りが続き、ようやく海に出た。
相変わらず空は青く、風はない。天候に恵まれた大会と言っていいだろう。
交通規制は既に解除されているのか、車がすぐ横を通る。
左に寄り、路肩を走るのだが、歩いている人の横を抜けるためには後ろから来る車に注意しなければならない。
そして、まだゆるい上りがあり、そのつど私は歩いた。
沿道にはときどき、撮影用のポイントがあり、
カメラマンたちがこちらにレンズを向けている。
私自身も写真に関する仕事をしていて、大勢のスポーツカメラマンを知っている。
でも、そんな私や同僚よりも、長髪で日焼けしてい彼らのほうがずっとカメラマンらしくてかっこいい。
きっといい写真を撮ってもらえただろう。
スタートから5時間近く経っている。それでも、沿道には応援してくれる大勢の方がいる。
「あと5キロだぞ」
「あと一息だ」
「がんばれ」だけでなく、後半は具体的なメッセージが多い。
そして、嬉しかったのが「もう坂道はないぞ」
声に出して「ありがとう」と言う気力はなかったけれど、
ひとつひとつが胸にしみた。
39キロ。いよいよあと3キロだ。
ハイペースに走っているならあっという間かもしれない。
しかし、私のペースでは3キロ×9分=27分もかかる。
まだ、30分くらい苦痛に耐えなければならないのだ。
距離の表示を見るたびに、そんな計算をして痛みをこらえた。
「5時間半を目指せー」そんな応援が聞こえた。
現在4時間55分。そうか。目標の5時間切りはとっくに無理だ。
5時間半とは、想像しなかった遅いタイムだ。
気がつくと5時間半のペースメーカーのお兄さんが後ろからやってきた。
5時間半とは、こんなに遅いペースなんだ。
がんばって、前に出た。
でも、そこまでだった。
5時間半の人たちも、やがて遠くに行ってしまった。
あと1キロ。私のGPSを見ると、5時間20分。頑張れば5時間30分は切れる。
「まだ頑張れる。頑張れる」。明らかにその女性の声は私に向かっていた。(と、信じている)
嬉しくて、小さくうなずいた。
そして歯をくいしばった。
でも、速度はほとんど変わらなかった。
すでにゴールをして、駐車場などでへ向かう人たちとすれ違う。
朝日新聞の旗がゴール付近にいっぱいはためいていた。
もうすぐゴールだ。5時間33分と表示されている。
私は後方スタートだから、もう少しタイムはいいはずだ。
GPSでは5時間28分台だ。
ゴール。
テープを切るイメージはあったが、そんなものあるわけなかった。
ゴールをした達成感。特にそのときは感じなかった。
ただ、もう走らなくても済むという安堵感だった。
とにかく、終わった。
これで堂々と歩ける。
(おしまい)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
後日、あとがきもアップしますね。
初めてのフルマラソン挑戦1<館山若潮マラソン> [舘山若潮マラソン]
「年に1,2度あるかないかの強い寒気が南下してきます」と天気予報は告げていた。
寒さと強風の中で走ることになるのかな。
そんな覚悟をして朝を迎えた。
今日は、初めてフルマラソンを走る日だ。
ホテルでたっぷり朝食をとり、タクシーで会場に着いたのは8時半。
スタートの90分前だ。
予報と違って風はほとんど感じない。
空は青く、高い。
日焼け止めを塗って、ストレッチをして、
9時45分にスタート位置についた。
目標タイムは5時間。
NHKの番組「3ヶ月でフルマラソン」に出演していたタレントたちは二人とも4時間50分台でゴールしていた。
私のほうがトレーニング量は豊富なはず。
だから、もっと早く走れるかもしれない。
そんな気がしたので4時間30分のペースメーカーの最後尾に並んだ。
10時スタート。
42.195キロの長いレースが始まった。
周囲は「○○ランナーズクラブ」などといったシャツを着た人が多い。
仲間同士楽しそうに話をしている。
中には東北・会津や仙台のランニンググループのシャツを着た人もいた。
遠路はるばるやってきたのだろう。
雪深い地方では、冬の間どうやってトレーニングするのだろう。
スタートから2キロくらいで早くも5時間のペースメーカーに抜かれた。
GPSで確認すると1キロ6分前後。かなり早い。
このまま40キロは持たない。ペースを落とす。
すると、どんどん抜かれる。
4キロくらいでガチャピンたちに抜かれる。
すぐに河童にも。
こういう人たちは、よほど実力があるのだろう。
沿道のひとたちの応援に必ず手を振り、大声でお礼を言っていた。
市街地を抜けると、正面に富士山が見える。
房総半島の南端だと、こんなに近くに、大きく見えるのだと感動。
菜の花があちこちに咲いて、気分がいい。
海岸線の道をさらに進むと富士山は後ろになり、
次に伊豆大島が見えてくる。
その右手にある小さな島は利島だろうか。
天気がいいと気持ちがいい。
5キロすぎにある最初のエイドステーションでアクエリアスを補給。
二度目にはアクエリアスとバナナを補給。
年配の男性としばし並走する。
年齢を聞くと、69歳。年に5,6回はフルマラソンを走るという。
「カッコイイ」思わずうなった。
私も年をとっても走り続ける体力を維持したいものだ。
日ごろ、スクワットなど筋トレを欠かさないとか。
なるほど。
余裕の走りを見せる男性の後姿はやがて小さくなり、
その後、二度と追いつくことはなかった。
フルマラソンは、14キロでひと区切りと考えると良いという話を雑誌で読んだ。
14キロで前半終了。28キロまでは中盤。28キロをすぎたら後半戦。
そう考えると距離に惑わされずに済むのだと。
その14キロが過ぎた。いよいよレースは中盤だ。
ペースは6分40秒くらいだろうか。両足のひざ裏が少し痛む。
18キロくらいで海岸線を左に折れる。これからアップダウンが多いらしい。
ところで、私は前回のブログで、30キロくらいでリタイアしようか迷っていると書いた。
経験がないだけに1ヶ月後の東京マラソンへの影響が心配だったからだ。
すると、「せっかく初めてのフルなのだから、完走しては」とのコメントをいただいた。
その通りだと思った。「初めての挑戦」と呼べるのは、今回1回限りだ。それがリタイアだなんて気分が悪い。思えば、私は最初から言い訳を用意していたのかもしれない。「本番は東京マラソンだから、このレースは完走しなくていい」などという考えは、他の参加者や多くのボランティアの人たち、沿道で応援してくれる人たちにも、あまりに失礼ではないか。私は絶対完走すると決めた。「収容」と大きく書かれた車に乗ったりするものか。
沿道でみかんを配っている人たちがいた。10歳くらいの男の子から受け取った。「ありがとう」。食べやすいように皮がむいてある。そのまま噛むと、甘酸っぱいビタミンCが口いっぱいに広がった。
つづきます
寒さと強風の中で走ることになるのかな。
そんな覚悟をして朝を迎えた。
今日は、初めてフルマラソンを走る日だ。
ホテルでたっぷり朝食をとり、タクシーで会場に着いたのは8時半。
スタートの90分前だ。
予報と違って風はほとんど感じない。
空は青く、高い。
日焼け止めを塗って、ストレッチをして、
9時45分にスタート位置についた。
目標タイムは5時間。
NHKの番組「3ヶ月でフルマラソン」に出演していたタレントたちは二人とも4時間50分台でゴールしていた。
私のほうがトレーニング量は豊富なはず。
だから、もっと早く走れるかもしれない。
そんな気がしたので4時間30分のペースメーカーの最後尾に並んだ。
10時スタート。
42.195キロの長いレースが始まった。
周囲は「○○ランナーズクラブ」などといったシャツを着た人が多い。
仲間同士楽しそうに話をしている。
中には東北・会津や仙台のランニンググループのシャツを着た人もいた。
遠路はるばるやってきたのだろう。
雪深い地方では、冬の間どうやってトレーニングするのだろう。
スタートから2キロくらいで早くも5時間のペースメーカーに抜かれた。
GPSで確認すると1キロ6分前後。かなり早い。
このまま40キロは持たない。ペースを落とす。
すると、どんどん抜かれる。
4キロくらいでガチャピンたちに抜かれる。
すぐに河童にも。
こういう人たちは、よほど実力があるのだろう。
沿道のひとたちの応援に必ず手を振り、大声でお礼を言っていた。
市街地を抜けると、正面に富士山が見える。
房総半島の南端だと、こんなに近くに、大きく見えるのだと感動。
菜の花があちこちに咲いて、気分がいい。
海岸線の道をさらに進むと富士山は後ろになり、
次に伊豆大島が見えてくる。
その右手にある小さな島は利島だろうか。
天気がいいと気持ちがいい。
5キロすぎにある最初のエイドステーションでアクエリアスを補給。
二度目にはアクエリアスとバナナを補給。
年配の男性としばし並走する。
年齢を聞くと、69歳。年に5,6回はフルマラソンを走るという。
「カッコイイ」思わずうなった。
私も年をとっても走り続ける体力を維持したいものだ。
日ごろ、スクワットなど筋トレを欠かさないとか。
なるほど。
余裕の走りを見せる男性の後姿はやがて小さくなり、
その後、二度と追いつくことはなかった。
フルマラソンは、14キロでひと区切りと考えると良いという話を雑誌で読んだ。
14キロで前半終了。28キロまでは中盤。28キロをすぎたら後半戦。
そう考えると距離に惑わされずに済むのだと。
その14キロが過ぎた。いよいよレースは中盤だ。
ペースは6分40秒くらいだろうか。両足のひざ裏が少し痛む。
18キロくらいで海岸線を左に折れる。これからアップダウンが多いらしい。
ところで、私は前回のブログで、30キロくらいでリタイアしようか迷っていると書いた。
経験がないだけに1ヶ月後の東京マラソンへの影響が心配だったからだ。
すると、「せっかく初めてのフルなのだから、完走しては」とのコメントをいただいた。
その通りだと思った。「初めての挑戦」と呼べるのは、今回1回限りだ。それがリタイアだなんて気分が悪い。思えば、私は最初から言い訳を用意していたのかもしれない。「本番は東京マラソンだから、このレースは完走しなくていい」などという考えは、他の参加者や多くのボランティアの人たち、沿道で応援してくれる人たちにも、あまりに失礼ではないか。私は絶対完走すると決めた。「収容」と大きく書かれた車に乗ったりするものか。
沿道でみかんを配っている人たちがいた。10歳くらいの男の子から受け取った。「ありがとう」。食べやすいように皮がむいてある。そのまま噛むと、甘酸っぱいビタミンCが口いっぱいに広がった。
つづきます