猛暑の第32回NAHAマラソン報告 [NAHAマラソン]
31回NAHAマラソン報告(レース編) [NAHAマラソン]
サブ4を目指すことにした。
ずっと目標に調整してきた、さいたま国際マラソンは欠場。
この機を逃したら、次のフルマラソンは4か月後になってしまう。
それまで、トレーニングをずっと続けるほど勤勉な男ではない。
沿道の応援が魅力のNAHAマラソン、
急いで走るのはもったいないが、背に腹は替えられない。
同宿の香港人男性とタクシーで会場に着いた。
グッドラック!
握手をして別れた。
午前7時30分。
スタートまで90分もあるため、トイレも空いている。
と、さっそくKANPEIさんを発見。
午前8時にはアーチの下で、49歳初挑戦男さんと無事再会。
その友人で病気からの復活で初マラソンに挑戦する男性と、
4人で記念写真を撮った。
このブログを始めて3年近くになる。
人に読んでもらうことより、トレーニング日誌のつもりだった。
始めてみるものだ。
いつしか、書き込みしてくれる方が現れて、
今は貴重なランニング仲間となっている。
同じジムに通う女性に声をかけられた。
ご夫婦で、友人ご夫婦と一緒に参加しているという。
3万人の参加者の中で、こんなふうに出会える偶然が楽しい。
荷物を預けてEブロックに戻ると、
もう集合締め切りの8時20分ぎりぎりだ。
同じスタートブロックのKANPEIさんは、
もうだいぶ前に並んでいるに違いない。
スタートを待つ。
空が青い。
天気予報では曇りのち雨。
朝は、どんよりとした空だった。
それが今、南国の強い日差しが照りつけてくる。
長くは続かないことを祈った。
午前9時。
ゲストのスリムクラブが「いいよー」と声を上げ、号砲が鳴った。
上空には取材ヘリ。
早くもいる、いる。
NAHAマラソン名物・沿道の応援。
旭橋駅周辺の歩道や階段は人でいっぱいだ。
すぐに右折し、国際通りに入る。
3万人のランナーが走るレースにしては、
少々狭く、スピードが出せない。
KANPEIさんが右手に見えた。
声をかけたいが、私は左手を走ることにしていた。
木曜の夜、居酒屋で知り会ったご夫婦が、
4㎞あたりの与儀小学校前で応援してくれている予定だ。
ぜひ、会いたい。
いたいた。
「jack!」
「シーサー、ありがとう!」
スマホで写真を撮ると、すぐに戦列復帰。
さて、これからだ。
もうKANPEIさんの姿は見えない。
先に行っているはず。
少しペースを上げたいが、まだ混雑が続いている。
上りが続く。
DJの声と音楽が聞こえてきた。
隣のランナーが「あれかな?」と言った。
そう、NAHAマラソン名物、YMCAだ。
西城秀樹の歌に合わせて、ランナーもポーズを作る。
なんとなく、楽しい。
混雑のせいだけではなかった。上りが続く。
まだ10kmも来ていないのに、足が苦しい。
GPSを見ると1km6分ペースを割り込んでいる。
このペースが続けば、サブ4は難しいだろう。
気温は25度を超えているはず。
ようやく太陽は姿を消したが、やはり蒸し暑い。
予報通り雨が降れば、少しは楽になるだろうか。
10km。1時間を越えた。
想定外の悪いタイムだ。
おそらく取り返しはきかないだろう。
どうする?
のんびり楽しく行くか?
マラソンは自分に問い続けるスポーツだ。
スピードを上げるか、落とすか、走るか、歩くか、
今、水を摂るか、後にするか?
苦しさから逃れるのは簡単だ。
ゆっくり行けばいい。
歩いたっていい。
でも、それでいいのか、
本当にいいのか?
沿道の人たちは、バナナ、チューチューアイス、
黒糖、ヤクルト、水、キャンディ、ミカン、
かち割り氷、エアサロンパス・・・・・
手に手にエイドを持っている。
サトウキビ畑を過ぎると、折り返し地点になる。
2時間5分が過ぎていた。
確か、つくばマラソンでサブ4に挑戦した時も、
同じくらいで折り返していた。
あの時は4時間3分。もう少しだった。
でも、後半、必死で追い上げての結果だった。
今はあれだけの余力は、ない。
平和祈念公園。
ここが折り返し点というのが、このコースの素晴らしさだ。
ちょっと途絶えていた応援が、また大きくなった。
トマトのエイドがあった。
まるまる1個。しかも大きい。
食べるのに時間がかかった。
ひめゆり記念館。
最初にここを訪ねてから30年になる。
その時、お会いした「語り部」が今年亡くなり記事になった。
ひめゆり学徒隊の方々は、もう全員が引退。
直接話を聞く機会がいよいよなくなってしまった。
沖縄本島の西側に出た。
東シナ海だ。
慶良間諸島がはっきり見えた。
今年の7月、潜水関係の仕事で久しぶりに潜った。
海の透明度は相変わらずだったけど、
見渡す限り続いていた世界屈指のサンゴ礁群は、
点在する程度にまで減っていて、ショックを受けた。
ようやく下りに出た。
少しでもペースを稼ぎたい。
「かち割り」をもらった。
小さなビニール袋に氷が数個。
首を冷やし、頬に当て、口に放り込む。
KANPEIさんは、もっと先に行ってるのだろうか?
私が後ろから追い上げているからと、
意外にスピードアップしているかもしれない。
追いつきたい。追い上げられない。
4時間10分は切れるだろうか?
切りたい。次のレースにつなげるためにも。
30km。3時間2分。
もう、結果は考えない。
だけど、のんびり走ったりはしない。
走る。早く、出来るだけ早く。
さいたま国際の出場を決めてからは、
サブ4だけを目標に走って来た。
目標は目標であって、届かないこともある。
だけど、あきらめて力を抜いたら、
数か月に及ぶトレーニングが徒労に終わってしまう。
糸満に入った。
いよいよ沿道の応援がヒートアップする。
あと10kmを切った。
水が飲みたい。
私設エイドらしいところで、白い紙コップを取った。
一気に飲もうとすると、様子が違った。
牛丼だった。
そういえば、そんな噂も聞いたことがあった。
吉野家の牛丼のエイドがあると。
でも、いまさら返すのは申し訳ない。
走り出し、食べることにした。
飲み込むように食べた。
うまく飲み込めなかった。
のどに引っかかった。
咳をしてみた。
でも、ひっかかった何かは、ひっかかったままだ。
走りながら、何度も。
水らしい私設エイドがあった。
今度は、よく確かめて水をもらい、
牛丼と一緒に流し込んだ。
胃が、重くなった気がした。
かすかに雨を感じる。
天気予報通りに雨が降ってきたのだ。
降っている小雨なら、熱を冷ましてくれる。
呼吸もしやすくなる。
恵みの雨になるのだろうか。
ふと気がつけば、
私の周囲のゼッケンはB,C,Dがほとんどだ。
Aも珍しくはない。
私はE。
それがサブ4レベルのはず。
周囲のA~Dはどういうことだ?
私の実力がアップしたとは思えない。
サバ読んでのエントリーだろうか?
糸満高校野球部の応援グループがいた。
去年も大声で声援していたっけ。
そして、次の春、選抜大会で甲子園の舞台に立った。
NAHAマラソンを思い出しつつ、テレビで応援をしたものだ。
「最後にすごい上りがある」
なっしーこさんが言っていた。
覚えていなかったけれど、
これがそうか。
40km。
もうすぐ4時間になる。
10分は切りたいが、この上りが続いたのでは絶望的だ。
KANPEIさんや、湘南を走っているゴードンさんは、
もうゴールしただろうか?
49歳初挑戦男さんたちはどの辺を走っているだろうか?
なっしーこさんは、すぐ後ろにいるかもしれない。
まぁみぃさんは、本当にゴールで待っているのだろうか。
競技場に入った。
いつもなら、ここで全力疾走をする。
でも、もう表示は4時間14分を過ぎていた。
今、頑張ってどうなる?
何のために走る?
目標は果たせなかった。
ただ、ようやく終わる。
やっと終わる。
このコースで、このコンディションで、
サブ4を達成する実力がなかっただけのことだ。
「完走おめでとうございます!」
それでもボランティアのスタッフが笑顔で迎えてくれた。
めでたくなんかない。完走が目標ではないのだから。
心のこもった笑顔にちょっととまどった。
思えば、走っている時からずっと、前半からずっと、
サブ4が出来なかった言い訳ばかり考えていた気がする。
アップダウンの続く難コースを、4時間少々で完走できたことは幸せなことだ。
笑顔は、心にしみた。
完走率は68㌫だった。
誰にとっても厳しいコンディションだった。
サブ4へのトレーニングは続けなければならない。
トレーニングが終わる日は、たぶん終わることはないのだろう。
体が動くうちは、永遠に。
今夜は打ち上げ。
楽しみだな。
レース編はこれでおしまいです。
長文で失礼しました。
続編も近日中にアップします。
NAHAマラソン報告 [NAHAマラソン]
スタートは午前9時。
日の出の遅い沖縄だが、
日差しが差し込むと気温は急上昇。
暑さとの戦いを覚悟した。
Eブロックからのスタートとなる。
那覇軍港を右手に見て、明治橋を渡るとスタートゲートだ。
号砲が鳴り、前に進み、ゲートを通ったのに、まだ流れが悪い。
どうしたことだろう?
スターターを務めたかつての世界チャンピオン、
具志堅用高に、みんなが集まり写真を撮っていたからだった。
やがて流れ出すと、すぐに右に曲がり、
那覇のメーンストリート、国際通りに入る。
さっそくの上り坂だ。
那覇マラソンはアップダウンの連続だ。
坂道をいちいち気にしていられないほどだ。
だから、タイムも気にしない。
那覇マラソンを満喫することを目標に走る。
でも、ゆっくり走る癖が付いてはいけないので、
4時間半は絶対切るつもりだ。
国際通りを抜けて那覇市内を走る。
左から日差しが照りつけてくる。
左そっちに寄れば陰になるが、
人が多いので走りづらそうだ。
上りがあれば、必ずご褒美の下りがある。
そう言っていた人がいた。
その上眺めが良いと思えば、坂道も一興だ。
7㎞。
チャーンチャチャーン~西城秀樹のヒット曲が大音量で聞こえてきた。
サビの部分に入ると、「はーい、みなさん一緒にー」とのアナウンス。
ランナーたちは一斉に手を振り上げ、
「YMCA~YMCA~」と踊り始めた。
何ともいえない一体感。
後で聞くと、やはり那覇マラソンの名物だったらしい。
翌日、琉球新報社会面に、その場面が掲載されていた。
10㎞、豊見城に入る。
沿道の応援もどんどん増えていった。
そして、多くの人が、おばあも、おじいも、おっさんも、子供たちも、
差し入れを手にしている。
ミカン、黒糖、チューチューアイス、ヤクルト、
水、バナナ、モンキーバナナ、チョコレート、飴、
アクエリアス、梅干し・・・・・・
そして、この私設エイドは最後まで、途絶えることがないほど続く。
うわさ通り、私設エイドが豪華な大会だ。
八重瀬町に入った。
サトウキビ畑の中を走る。
そして、中間点は、なんと平和祈念公園の中。
実は、2日前にもレンタカーでここに来ていた。
10年以上前、仕事で初めて訪れた時のこと。
他の都道府県には花がいっぱい手向けてあったのに、
宮城県など東北の碑には何も置かれていないため寂しく感じた。
そこで公園内にある花屋に行くと、
おばあに「どこから来られたの?」と聞かれた。
「宮城県」と答えると、
「遠いから、(宮城から訪ねる人は)少ないものね」
と言われたのだった。
以来、沖縄に来た時は必ずここに来ている。
それにしても、素晴らしいコース設定だと思う。
通過ではなく、中間点ということも。
レースの盛り上がりも、ヒートアップする。
肝心の中間点のタイムだが、
2時間10分を超えていた。
前回、つくばでは2時間5分だった。
自己ベストよりずいぶん遅い。
しかし、この分なら4時間30分を超えることはなさそうだ。
スタート直後、心配していた暑さだが、
薄曇りに変わり、日差しも風も感じない。
快適なマラソン日和となった。
平和祈念公園の後、ひめゆりの塔の前を通過する。
ここから私設エイドはいっそう豪華さを増す。
まずは沖縄そば。
割り箸をもらい、進むと、ソバの入ったコップ。
食べながら進むと、
残ったスープをバケツに捨てて、
コップも捨てる袋が用意してある。
シークァーサー、サータアンダギー、もろみ酢、ゼリー、かち割り氷、サトウキビジュース。
そして、何十人もの白装束の軍団は、サロンパスチーム。
「どこですか?」
「ふくらはぎお願いします」
一人はスプレー、一人は塗るタイプの薬で左右の足を冷やしてくれる。
このチームは2か所にいたので2回お世話になった。
沿道でサロンパスを持っている老若男女もずいぶん見かけた。
糸満に入り、西海岸沿いを走る。
海の向こうに慶良間諸島が見えてきた。
世界屈指のダイビングポイントがある。
今度潜りに行くのはいつになるだろう。
糸満市の中心部で30㎞。
これまでも、十分にぎやかだったけど、
いっそうにぎやかになってきた。
坊主頭の高校生の集団。
硬式野球部だろうか?
胸には「糸満高校」と書いてある。
ハイタッチを求めて手を出している。
思わず手を差し出した。
笑顔に力をもらう。
彼らの笑顔は何だろう。
人を応援する喜びなのか。
那覇空港が近づいてきた。
那覇空港の先は、すぐにゴールのある奥武山運動公園だ。
この分なら、4時間20分くらいか。
公園の周辺には、やはりボランティアの高校生がズラリ。
日焼けした坊主頭がハイタッチを求めている。
不思議だ。
ハイタッチをすると、スピードを出していても、
疲れが感じなくなる。
坊主頭は、競技場入り口まで100㍍以上続いていた。
競技場内もにぎやかだ。
足も、腕も、腰も、どこも痛くはない。
気持ちよくなって、今さらながらスピードアップ。
タイムは今一つながら、ガッツポーズでゴールした。
ゴール後、素晴らしいものをいただいた。
それは琉球ガラスで出来た記念のメダル。
30周年記念い対してなのか「ありがとう」のメッセージ入り。
初めてもらった東京マラソンのメダルは嬉しかった。
でも、その後、静岡、福岡、大阪でもらったメダルは何も思わなかった。
完走することが当たり前に感じたからなのか、
メダルのデザインのせいなのか、理由はわからない。
このメダルは、ずっと大切に持っていたいと思う。
そうそう、ネットのタイムは4時間22分でした。