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猛暑の第32回NAHAマラソン報告 [NAHAマラソン]

そうだった。
タイムを気にするのなら、ここに来る必要はない。
自己ベストを狙うならば、つくばや金沢に出ればいいのだ。
青空の下、夏のような日差しを感じながら熱烈な応援をうけて走る。
振り返れば南国マラソンの真骨頂だった。
ゴールを目指して走っている頃は、
ただ、暑さを呪っているだけだったけれど。
2016-12-14 22.14.01.jpg
 
天気予報の最高気温は27℃。湿度もかなり高い。
しかし、曇りのち雨というから何とかなるだろう。 
日よけのキャップは汗を吸うと重たくなる。
サングラスもやめた。
シンプルに行こう。
日焼け止めもせずにスタートした。
昨年、一昨年と違ってスターターは有名人でなないようだ。
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国道52号線を右に曲がって、すぐに国際通りを上る。
3年連続となるが、
メインストリートの真ん中を走る快感はなんとも言えない。
東京・銀座、大阪は御堂筋、福岡天神、そして那覇なら国際通りだ。
スタート直後だから上り坂も気にならない。

しかし、2kmも走ってないのに、
もう汗が噴き出してきた。
からみつくような暑さと湿気はスタミナを削ぐ。 
タイムは気にしないことにした。
このコース、この暑さで自己ベストは到底狙えない。
今できる走りをすればいい。

3kmを過ぎた。
左手に与儀小学校。 
去年、応援に来てくれたシーサーさん夫妻がいたのはこのあたり。
そう思うと誰もいないのは、ちょっと寂しい。
今年も参加の連絡をすればよかったかな。
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3度目の上りが終わった頃、
名物の音楽が聞こえてきた。
走りながら「 YMCA」をするのはNAHAマラソン名物でもある。

走り始めた直後から水は飲まずにはいられなかった。
私設エイドで小さく砕いた氷が入ったシークァーサージュース。
お代わりしたいほど美味しかった。

一緒に参加していた従兄弟の光君は私より10歳若い。
自己ベストも私より17分速い3時間41分。
同じDブロックでスタートした。
「ゆっくり走る」と言って、すぐに離れた。
2016-12-14 22.35.52.jpg
市街地を抜け南部に入るとサトウキビ畑の中を行く。
エイドで絞ったばかりのサトウキビジュースの提供もある。
3度も出ていると、どこでどんなエイドがあるかもわかってくる。

今回、ゼリーは持たなかった。
糖分は私設エイドでお世話になろうと思ったからだ。
NAHAは沿道の人たちが食べ物やジュース、かちわり氷などを提供してくれる。
沿道にズラリ並んだ応援の人たちが、
それぞれエイドの品を持っていてくれるのがNAHA名物。
おそらく沿道の人の数では東京、大阪に次いで3番目だろう。
でも、熱い応援という点では日本一ではないかと思う。
ゼリーなどは持たないですむ分、
荷物は軽くなる。 
 
10km。1時間4分。
それほど悪くもない。
4時間30分は切れるかもしれない。
いくらタイムは気にしないと言っても、
やはり最低限のタイムは残したい。

平和祈念公園に入る。ちょうど中間点は公園内にある。
ここは私たちが決して忘れてならない場所。
走りながら手をあわせる。 
今、目の前に見えるのは、 
熱い応援と、はじけるような笑顔。
沖縄の人の思いが集まっている気がした。
もう3年もNAHAマラソンを走り続けているのは、
この場所を走りたいからかもしれない。 
 
エイドにもらったトマト丸1個。
しかも大きい。
今回は残さずしっかり食べた。
タイムを気にしなければ、じっくり味わえる。
中間点は2時間15分で通過。
ちょうど4時間30分ペース。 
 
NAHAマラソンは参加者が約3万人。
その割には狭いコースも多く、堂々と真ん中を歩く人が増えると、
走りづらい。
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祈念公園の次は、ひめゆりの前にある、
沖縄そばのエイドだ。
こちらは進みながら順番が決まっている。 
1、手前で割り箸受け取り、
2、次にそばを受け取り、
3、食べる
4、ゴミ袋が待っている。
という流れで、ごちそうさま。 
 
雨が降る気配はなかった。
それどころか曇りもしない。
今も見上げれば広がっているのは青い空。
夏の日差しはしばらく続きそうだ。
  2016-12-14 22.35.04.jpg
25キロを過ぎの下りでは眼下に南シナ海が広がる。
その先には慶良間諸島。
ペースはキロ6分くらいだろうか。
あまり気にはしなかった。
でも、遅ければそれだけ長く走ることになる。
さっさとゴールしてしまいたい。
 
時々、倒れた人がいて、
何人かが囲んでいた場面を見たし、
救急車の音も何度か聞いた。
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走りながら、かちわり氷を持っている人を探す。
飲み物も、氷が入っていそうな私設エイドを探した。
大きなエイドでは、バケツから柄杓でコップに水を注いでいる。
そんな場所の水はほぼ常温で美味しくない。 
袋に入ったかち割りの氷をもらい、
しばらくは首にあてる。
冷えてない飲み物をもらったときに、コップに入れて飲んだ。 
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去年、水だと思って飲もうとしたら牛丼だったというエイド。
そう、吉野家の前にある。
今回は写真だけ撮らせてもらった。
 
歩きたい。
マラソンを走っている時、いつも思うことだけれど、
今回は特に歩きたかった。
これまでフルマラソンで歩いたのはたった1度。
1番最初のレース、館山若潮のときだった。
もう4時間30分も難しいし、
タイムは気にしなくたっていいはず。
歩いてしまおうか?
いや、一度歩くと癖になるのではないか? 
30kmを過ぎると、ずっとそんなことを考えるようになった。
歩きたい気持ち。
それを我慢しようとする気持ち。
 2016-12-14 22.15.15.jpg
糸満の商店街を抜けた頃だったろうか。 
後ろから、足音が聞こえてきた。
タ、タ、タ、タ、タ・・・
小刻みで、メトロノームのように正確なリズムを刻んでいる。
音に合わせて走ってみる。
ちょっと楽になった気がした。
同年代くらいの女性の足音だった。
しばらく音が聞こえる距離を保って走った。 
 
あと5km。
空港の表示が見えてくるとゴールも近い。 
ここからの1kmがなかなか減らないけれど。
歩かないですむはずだ。
 
沿道の私設エイドで氷水をもらう。
私設エイドはコップの捨て場所に困ることが多いが、
10mほど先にゴミ袋を持っているお兄さんがいた。
「冷たくて美味しかった」お礼を言ってコップを捨てた。
 2016-12-14 22.16.18.jpg
大きな信号を左に折れるといよいよ競技場が見えてきた。
いたいた。
赤いTシャツを着た丸坊主の高校生たち。
県内の高校球児たちが、応援や会場内のボランティアをしているのだ。
威勢のいい大きな声で応援してくれる。
「ありがとう」言いながら、ハイタッチを繰り返す。 
しばしの間、疲れを忘れる。
競技場のトラックに入った。
あと半周でいよいよゴールだ。
 
もう4時間30分は過ぎている。
始まる前は想像しなかったような遅いタイムになった。
苦しかったけど完走だ。 
ガッツポーズしたって許されるはず。
両手を広げた。


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4時間37分54秒、グロスでは4時間39分45秒。
 順位はちょうど2,400位。
 琉球ガラスのメダルをかけてもらった。
メダルは何度もらっても、その瞬間はちょっと嬉しい。 
 
空を見上げると、ようやく太陽に雲がかかり始めていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌日の新聞によると、当日の最高気温は28.2℃
12月の沖縄で28℃を記録したのは102年ぶり。
完走率は53.2%という低さだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 












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31回NAHAマラソン報告(レース編) [NAHAマラソン]

サブ4を目指すことにした。
ずっと目標に調整してきた、さいたま国際マラソンは欠場。
この機を逃したら、次のフルマラソンは4か月後になってしまう。
それまで、トレーニングをずっと続けるほど勤勉な男ではない。
沿道の応援が魅力のNAHAマラソン、
急いで走るのはもったいないが、背に腹は替えられない。

同宿の香港人男性とタクシーで会場に着いた。
グッドラック!
握手をして別れた。

午前7時30分。
スタートまで90分もあるため、トイレも空いている。
と、さっそくKANPEIさんを発見。
午前8時にはアーチの下で、49歳初挑戦男さんと無事再会。
その友人で病気からの復活で初マラソンに挑戦する男性と、
4人で記念写真を撮った。

このブログを始めて3年近くになる。
人に読んでもらうことより、トレーニング日誌のつもりだった。
始めてみるものだ。
いつしか、書き込みしてくれる方が現れて、
今は貴重なランニング仲間となっている。

同じジムに通う女性に声をかけられた。
ご夫婦で、友人ご夫婦と一緒に参加しているという。
3万人の参加者の中で、こんなふうに出会える偶然が楽しい。

荷物を預けてEブロックに戻ると、
もう集合締め切りの8時20分ぎりぎりだ。
同じスタートブロックのKANPEIさんは、
もうだいぶ前に並んでいるに違いない。

スタート前1.jpg
スタートを待つ。
空が青い。
天気予報では曇りのち雨。
朝は、どんよりとした空だった。
それが今、南国の強い日差しが照りつけてくる。
長くは続かないことを祈った。

スタート2.jpg
 午前9時。
ゲストのスリムクラブが「いいよー」と声を上げ、号砲が鳴った。
上空には取材ヘリ。

早くもいる、いる。
NAHAマラソン名物・沿道の応援。
旭橋駅周辺の歩道や階段は人でいっぱいだ。

国際3.jpg
すぐに右折し、国際通りに入る。
3万人のランナーが走るレースにしては、
少々狭く、スピードが出せない。
KANPEIさんが右手に見えた。
声をかけたいが、私は左手を走ることにしていた。
木曜の夜、居酒屋で知り会ったご夫婦が、
4㎞あたりの与儀小学校前で応援してくれている予定だ。
ぜひ、会いたい。

シーサー.jpg

いたいた。
「jack!」
「シーサー、ありがとう!」
スマホで写真を撮ると、すぐに戦列復帰。


さて、これからだ。
もうKANPEIさんの姿は見えない。
先に行っているはず。
少しペースを上げたいが、まだ混雑が続いている。

上りが続く。
DJの声と音楽が聞こえてきた。
隣のランナーが「あれかな?」と言った。
そう、NAHAマラソン名物、YMCAだ。
西城秀樹の歌に合わせて、ランナーもポーズを作る。
なんとなく、楽しい。
YMCA.jpg

混雑のせいだけではなかった。上りが続く。
まだ10kmも来ていないのに、足が苦しい。
GPSを見ると1km6分ペースを割り込んでいる。
このペースが続けば、サブ4は難しいだろう。

気温は25度を超えているはず。
ようやく太陽は姿を消したが、やはり蒸し暑い。
予報通り雨が降れば、少しは楽になるだろうか。

10km。1時間を越えた。
想定外の悪いタイムだ。
おそらく取り返しはきかないだろう。
どうする?
のんびり楽しく行くか?

マラソンは自分に問い続けるスポーツだ。
スピードを上げるか、落とすか、走るか、歩くか、
今、水を摂るか、後にするか?
苦しさから逃れるのは簡単だ。
ゆっくり行けばいい。
歩いたっていい。
でも、それでいいのか、
本当にいいのか?

沿道の人たちは、バナナ、チューチューアイス、
黒糖、ヤクルト、水、キャンディ、ミカン、
かち割り氷、エアサロンパス・・・・・
手に手にエイドを持っている。

サトウキビ畑を過ぎると、折り返し地点になる。
2時間5分が過ぎていた。
確か、つくばマラソンでサブ4に挑戦した時も、
同じくらいで折り返していた。
あの時は4時間3分。もう少しだった。
でも、後半、必死で追い上げての結果だった。
今はあれだけの余力は、ない。

折り返し.jpg

平和祈念公園。
ここが折り返し点というのが、このコースの素晴らしさだ。
ちょっと途絶えていた応援が、また大きくなった。
トマトのエイドがあった。
まるまる1個。しかも大きい。
食べるのに時間がかかった。

ひめゆり記念館。
最初にここを訪ねてから30年になる。
その時、お会いした「語り部」が今年亡くなり記事になった。
ひめゆり学徒隊の方々は、もう全員が引退。
直接話を聞く機会がいよいよなくなってしまった。

東シナ.jpg

沖縄本島の西側に出た。
東シナ海だ。
慶良間諸島がはっきり見えた。
今年の7月、潜水関係の仕事で久しぶりに潜った。
海の透明度は相変わらずだったけど、
見渡す限り続いていた世界屈指のサンゴ礁群は、
点在する程度にまで減っていて、ショックを受けた。

ようやく下りに出た。
少しでもペースを稼ぎたい。
「かち割り」をもらった。
小さなビニール袋に氷が数個。
首を冷やし、頬に当て、口に放り込む。

KANPEIさんは、もっと先に行ってるのだろうか?
私が後ろから追い上げているからと、
意外にスピードアップしているかもしれない。
追いつきたい。追い上げられない。

4時間10分は切れるだろうか?
切りたい。次のレースにつなげるためにも。

30km。3時間2分。

もう、結果は考えない。
だけど、のんびり走ったりはしない。
走る。早く、出来るだけ早く。
さいたま国際の出場を決めてからは、
サブ4だけを目標に走って来た。
目標は目標であって、届かないこともある。
だけど、あきらめて力を抜いたら、
数か月に及ぶトレーニングが徒労に終わってしまう。

糸満に入った。
いよいよ沿道の応援がヒートアップする。
あと10kmを切った。
水が飲みたい。

私設エイドらしいところで、白い紙コップを取った。
一気に飲もうとすると、様子が違った。
牛丼だった。
そういえば、そんな噂も聞いたことがあった。
吉野家の牛丼のエイドがあると。

でも、いまさら返すのは申し訳ない。
走り出し、食べることにした。
飲み込むように食べた。
うまく飲み込めなかった。
のどに引っかかった。
咳をしてみた。
でも、ひっかかった何かは、ひっかかったままだ。
走りながら、何度も。

水らしい私設エイドがあった。
今度は、よく確かめて水をもらい、
牛丼と一緒に流し込んだ。
胃が、重くなった気がした。

かすかに雨を感じる。
天気予報通りに雨が降ってきたのだ。
降っている小雨なら、熱を冷ましてくれる。
呼吸もしやすくなる。
恵みの雨になるのだろうか。

ふと気がつけば、
私の周囲のゼッケンはB,C,Dがほとんどだ。
Aも珍しくはない。
私はE。
それがサブ4レベルのはず。
周囲のA~Dはどういうことだ?
私の実力がアップしたとは思えない。
サバ読んでのエントリーだろうか?

糸満高校野球部の応援グループがいた。
去年も大声で声援していたっけ。
そして、次の春、選抜大会で甲子園の舞台に立った。
NAHAマラソンを思い出しつつ、テレビで応援をしたものだ。

「最後にすごい上りがある」
なっしーこさんが言っていた。
覚えていなかったけれど、
これがそうか。

40km。
もうすぐ4時間になる。
10分は切りたいが、この上りが続いたのでは絶望的だ。

KANPEIさんや、湘南を走っているゴードンさんは、
もうゴールしただろうか?
49歳初挑戦男さんたちはどの辺を走っているだろうか?
なっしーこさんは、すぐ後ろにいるかもしれない。
まぁみぃさんは、本当にゴールで待っているのだろうか。

競技場に入った。
いつもなら、ここで全力疾走をする。
でも、もう表示は4時間14分を過ぎていた。
今、頑張ってどうなる?
何のために走る?
目標は果たせなかった。
ただ、ようやく終わる。
やっと終わる。

このコースで、このコンディションで、
サブ4を達成する実力がなかっただけのことだ。

「完走おめでとうございます!」
それでもボランティアのスタッフが笑顔で迎えてくれた。
めでたくなんかない。完走が目標ではないのだから。
心のこもった笑顔にちょっととまどった。

思えば、走っている時からずっと、前半からずっと、
サブ4が出来なかった言い訳ばかり考えていた気がする。
アップダウンの続く難コースを、4時間少々で完走できたことは幸せなことだ。
笑顔は、心にしみた。

完走率は68㌫だった。
誰にとっても厳しいコンディションだった。

サブ4へのトレーニングは続けなければならない。
トレーニングが終わる日は、たぶん終わることはないのだろう。
体が動くうちは、永遠に。

今夜は打ち上げ。
楽しみだな。


レース編はこれでおしまいです。
長文で失礼しました。
続編も近日中にアップします。


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NAHAマラソン報告 [NAHAマラソン]

スタートは午前9時。
日の出の遅い沖縄だが、
日差しが差し込むと気温は急上昇。
暑さとの戦いを覚悟した。
Eブロックからのスタートとなる。
那覇軍港を右手に見て、明治橋を渡るとスタートゲートだ。
号砲が鳴り、前に進み、ゲートを通ったのに、まだ流れが悪い。
どうしたことだろう?
スターターを務めたかつての世界チャンピオン、
具志堅用高に、みんなが集まり写真を撮っていたからだった。
naha3.jpg
やがて流れ出すと、すぐに右に曲がり、
那覇のメーンストリート、国際通りに入る。
さっそくの上り坂だ。
那覇マラソンはアップダウンの連続だ。
坂道をいちいち気にしていられないほどだ。
naha2.jpg
だから、タイムも気にしない。
那覇マラソンを満喫することを目標に走る。
でも、ゆっくり走る癖が付いてはいけないので、
4時間半は絶対切るつもりだ。

国際通りを抜けて那覇市内を走る。
左から日差しが照りつけてくる。
左そっちに寄れば陰になるが、
人が多いので走りづらそうだ。
naha4.jpg
上りがあれば、必ずご褒美の下りがある。
そう言っていた人がいた。
その上眺めが良いと思えば、坂道も一興だ。

7㎞。
チャーンチャチャーン~西城秀樹のヒット曲が大音量で聞こえてきた。
サビの部分に入ると、「はーい、みなさん一緒にー」とのアナウンス。
ランナーたちは一斉に手を振り上げ、
「YMCA~YMCA~」と踊り始めた。
何ともいえない一体感。
後で聞くと、やはり那覇マラソンの名物だったらしい。
翌日、琉球新報社会面に、その場面が掲載されていた。
naha5.jpg
10㎞、豊見城に入る。
沿道の応援もどんどん増えていった。
そして、多くの人が、おばあも、おじいも、おっさんも、子供たちも、
差し入れを手にしている。

ミカン、黒糖、チューチューアイス、ヤクルト、
水、バナナ、モンキーバナナ、チョコレート、飴、
アクエリアス、梅干し・・・・・・
そして、この私設エイドは最後まで、途絶えることがないほど続く。
うわさ通り、私設エイドが豪華な大会だ。

八重瀬町に入った。
サトウキビ畑の中を走る。
そして、中間点は、なんと平和祈念公園の中。
実は、2日前にもレンタカーでここに来ていた。
naha6.jpg
10年以上前、仕事で初めて訪れた時のこと。
他の都道府県には花がいっぱい手向けてあったのに、
宮城県など東北の碑には何も置かれていないため寂しく感じた。
そこで公園内にある花屋に行くと、
おばあに「どこから来られたの?」と聞かれた。
「宮城県」と答えると、
「遠いから、(宮城から訪ねる人は)少ないものね」
と言われたのだった。
以来、沖縄に来た時は必ずここに来ている。
それにしても、素晴らしいコース設定だと思う。
通過ではなく、中間点ということも。
レースの盛り上がりも、ヒートアップする。

肝心の中間点のタイムだが、
2時間10分を超えていた。
前回、つくばでは2時間5分だった。
自己ベストよりずいぶん遅い。
しかし、この分なら4時間30分を超えることはなさそうだ。
スタート直後、心配していた暑さだが、
薄曇りに変わり、日差しも風も感じない。
快適なマラソン日和となった。

平和祈念公園の後、ひめゆりの塔の前を通過する。
ここから私設エイドはいっそう豪華さを増す。
まずは沖縄そば。
割り箸をもらい、進むと、ソバの入ったコップ。
食べながら進むと、
残ったスープをバケツに捨てて、
コップも捨てる袋が用意してある。
naha7.jpg
シークァーサー、サータアンダギー、もろみ酢、ゼリー、かち割り氷、サトウキビジュース。
そして、何十人もの白装束の軍団は、サロンパスチーム。
「どこですか?」
「ふくらはぎお願いします」
一人はスプレー、一人は塗るタイプの薬で左右の足を冷やしてくれる。
このチームは2か所にいたので2回お世話になった。
沿道でサロンパスを持っている老若男女もずいぶん見かけた。
naha8.jpg
糸満に入り、西海岸沿いを走る。
海の向こうに慶良間諸島が見えてきた。
世界屈指のダイビングポイントがある。
今度潜りに行くのはいつになるだろう。

糸満市の中心部で30㎞。
これまでも、十分にぎやかだったけど、
いっそうにぎやかになってきた。
坊主頭の高校生の集団。
硬式野球部だろうか?
胸には「糸満高校」と書いてある。
ハイタッチを求めて手を出している。
思わず手を差し出した。
笑顔に力をもらう。
彼らの笑顔は何だろう。
人を応援する喜びなのか。

那覇空港が近づいてきた。
那覇空港の先は、すぐにゴールのある奥武山運動公園だ。
この分なら、4時間20分くらいか。

公園の周辺には、やはりボランティアの高校生がズラリ。
日焼けした坊主頭がハイタッチを求めている。
不思議だ。
ハイタッチをすると、スピードを出していても、
疲れが感じなくなる。
坊主頭は、競技場入り口まで100㍍以上続いていた。

競技場内もにぎやかだ。
足も、腕も、腰も、どこも痛くはない。
気持ちよくなって、今さらながらスピードアップ。
タイムは今一つながら、ガッツポーズでゴールした。

ゴール後、素晴らしいものをいただいた。
それは琉球ガラスで出来た記念のメダル。
30周年記念い対してなのか「ありがとう」のメッセージ入り。
初めてもらった東京マラソンのメダルは嬉しかった。
でも、その後、静岡、福岡、大阪でもらったメダルは何も思わなかった。
完走することが当たり前に感じたからなのか、
メダルのデザインのせいなのか、理由はわからない。
このメダルは、ずっと大切に持っていたいと思う。

そうそう、ネットのタイムは4時間22分でした。


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